景気は回復するのか

景気は回復するのか?答えはNOである。(2011.11.3 岩内 レーポートより)

 高度成長時代には、日本の景気はおおむね不況知らずであり、神武景気いざなぎ景気などの言葉で煽り立てられた。その時代の日本は、工業製品において急速に世界シェアを拡大していった。
 ニクソンショック不況、オイルショック不況の時は、高度成長によって拡大した財政力をバックにインフラ投資が大々的に行なわれ、いわゆる内需拡大が不況克服のエンジンとなった。また、家電・自動車産業は、蓄積した技術力によって世界市場でのシェア拡大が続き、それもまたエンジンの一つであった。
 プラザ合意による急激な円高が起きると、日本産業の圧倒的な技術力をもってしても日本産業の収益力を低下させた。そのため、日本産業の生産の海外移転が急速に進み始めた。これは、かって世界の工場であったアメリカ産業の辿った道と同じであった。
 日本企業は海外生産によって利益を確保できたが、国内産業は日本企業の海外工場との競争に曝され、競争力が低下していき、そのしわ寄せは日本の労働者に向けられた。派遣労働やパートタイム労働など、非正規雇用拡大と賃金低下。そして失業率アップと進んでいった。また製造業からソフト産業へと労働者の配置転換が進んだ。
 日本の産業政策当局が手をこまねいていたわけではない。産業のソフト化、インフラ整備によるソフト産業の地方分散や在宅勤務などが打ち出された。しかしそれはうまく行かず、国家財政については負債の増加だけが残された。
 一方プラザ合意による円高は、東京が国際金融センターとしての地位を高めるという希望が生まれ、投機マネーの東京集中が起きた。そのことで発生したバブル景気は、かっての日本経済のエンジンであった産業の復興ではなく、投機マネーの流入によってもたらされた。さらにそれは列島改造やふるさと創生に逆行した企業の東京一極集中をもたらした。
 投機マネーは安定経済を望むのでなく、一攫千金を求めて、常に成長倍率を求めて動き回る。したがって成長速度の鈍化した東京市場から撤退していく。そのことに対して日本の財政当局と経済界は全く手を打てなかった。景気がいい(実は過熱)ことを幸いに何もしなかった。エピソードとしては、町工場の経営者が、まじめな物づくり、つまり受注活動や技術開発を怠り、株や土地取引に現を抜かし、その儲けで給料を払う。つまり給料さえ払えば経営者の責任が果たせている、と思い込んだ。こういう話は町工場だけでなく、実はトヨタでさえ「トヨタ銀行」と呼ばれるほどに、マネー運用を経営の柱としたのがその時代である。
 バブルが去ると、日本政府は景気下支えの為、つぎつぎと金融財政政策を行なってきた。そのため日本の国債発行残高が膨らみ、金利負担を加えて、来年早々にも日本国家の負債は1000兆円に達すると見込まれている。
 以上が日本経済の今日に至る概略である。

 今、東北地震津波災害と原発事故に対する日本政府の対策が遅いと批判されている。その原因は、実は政治家や官僚の無能だけではない。日本国家が抱えるこの財政危機こそが最大の原因である。おそらく負債額が半分でも、政府や官僚は思い切った手を打つことは出来ないはずである。それは、財政体質を一気に悪化させるからである。まして現状ではほとんど手は打てない。
 しかし、復興債を発行し、資金供給を行なえば、必ず復興特需が起きて、すくなくとも景気は下支えされる。ただし、日本国債のランクが下がるとか、円が下がり、インフレが起きるという副作用は避けられないし、それが世界金融市場に影響を及ぼすことも事実である。さらに、復興債償還のために、いずれは緊縮財政を避けられなくなる。それを恐れるから日本政府は災害復興への積極的な政策実行が行なえないし、結局は被災者は自力で復興に取り組まざるを得ない。
 何よりも緊急性を要するこの大災害対応すら出来ない日本の経済財政当局が、景気回復のための財政出動など、絶対に出来ない。だが、復旧、復興資金調達(支出)で最も迅速な方法は予備費の支出、次が国債発行である。埋蔵金発掘や経費削減、国有財産売却などは時間がかかり、復興増税はもっと時間がかかる。なにより瓦礫処理やインフラ再生などの緊急措置に必要な資金は、国債発行で準備するしかない。
 ちなみに日本政府がこの時点で余剰資金を抱えていたとしよう。そのマネーは即刻災害地域の復旧に投入される。オールゼネコンは被災地域にその資材を集中し、復興特需、雇用拡大が起きる。それは日本の景気を一気に浮揚させるだけでなく、世界経済危機緩和のエンジンとなる。

 円安になれば日本の景気は回復するのか?ノーである。日本の企業は、3・11にかさなるヨーロッパの金融危機アメリカの不況という情況の中で、円安でなく円高になってしまった。国内における電力供給の不安定と東北の絶望的情況での円高を受けて、日本の企業は産業立地としての日本を完全に見放した。円安になったとしても、企業が国内での設備投資を増強する条件は失われた。さらに円安になれば、日本の輸入力は低下し、市場としての魅力すら失われる。つまり日本は、景気回復のエンジンを失ってしまった。

 悪い条件はまだまだ続く。被災地では工業や農業、漁業など、すべての生産要因が失われた。工場や企業従業員だけでなく、農業や漁業者も失業状態に陥った。その人達が働く場所を得て、継続的に生活費用を得ることが出来る状態。それが復旧の大前提である。ところが東北の被災者の、職場復帰や新たな就職は全く進んでいない。故郷を捨てた人には、全国の自治体などが臨時職員として雇用するなどの対応が行なわれているようだが、残っている人には全く明日への希望がもたらされていない。厚生労働省は、そうした人達を対象とした雇用保険支給を90日延長した。しかし情況が90日で改善しないことは明らかである。その場合再延長するのか?それとも生活保護に切り替えるのか?
 災害に関わる失業は東北に限ったことではない。分業が進み、全国に関連商品生産が分散されている今日、被災企業と取引のあった多くの企業が倒産や減産に追い込まれ、契約社員の雇い止めなど、失業は全国に広がっている。
 雇用保険は雇用者と被用者から徴収した雇用保険料が原資だから、理論上は国家財政に影響は与えない。しかし生活保護は国家財政からの支出である。すでにその額は年間3兆4000億円を超えている。財政危機の中でその負担はさらに増えることが確実である。
 したがって、景気は良くなるどころか、確実に悪化する。日本政府は、支出を絞るか借金を増やして復興支出を維持、拡大するしかない。そして絞られれば、国家からの資金投入でようやく生き延びている全国の地方自治体は、最早全く身動きできなくなる。
 日本国家が災害対応できない最大の原因は財政危機である。その克服の道筋が示されない限り、何の手も打てない。
 野田内閣は復興増税政策を打ち出した。国家の負債を増やさず支出を増やすのは増税しかない。国家資産の売却、埋蔵金の放出によって増税は避けられるという議論がある。資産売却や埋蔵金(これも資産である)放出は、経理的に見れば、日本の場合借金総額から資産を引いた額が本当の借金であり、したがって借金比率の拡大、つまり日本国家の信用縮小となる。したがって、純粋に国家の負債削減をしようと思えば、増税以外にはありえないのである。
 ところが政権与党の中から増税反対の大合唱が起きている。その前に、景気が良くなったら増税に賛成だという主張がある。いったいどうしたら景気が良くなるのか、そのことを一切語らない連中は、全く内容も無く、バカの一つ覚えの自己主張をしているに過ぎない。すでに述べたように、景気は良くならない。あるいは逆に、今の日本は十分に景気がいいとも言える。薄型テレビや扇風機はばかすか売れ、家電販売店は久しぶりに潤っている。海外旅行も決して大幅には減っていない。これ以上良くなるとは一体どういう情況を想定して言っているのか。「景気がよくなったら」と言う連中は、どうなったら「景気がいい」というのか明確に示すべきである。
 国家資産の売却や埋蔵金の放出は一事しのぎでしかない。もちろん緊急事態でありそれはするべきだが、長期、巨大な復旧資金がそれで足りるわけがない。国家公務員費用の20%削減ももちろん行なわなければならない。放漫財政で生まれた無駄使い体質は、徹底的に正さねばならない。今の所、災害復旧に必要な資金は19兆円と見積もられているが、これは、見積もりが余り膨大になると手のつけようがなくなり、日本はもう駄目だ、という悲観論が広がるから、当面最低限必要な金額が示されたに過ぎない。実際には最終的には災害復旧、復興事業に関する政府支出は、その2倍では収まらず、50兆円をどれだけ越えるかというレベルになると思われる。そして、保障されない個人、民間の損害を加えれば、災害で失われた資産の価格はどのくらいになるだろうか?
 今反増税派が言っているように、もしかしたら復旧についてはそれで足りるのかもしれない。しかし、復旧の為の国家の財政政策を阻んでいる1000兆円の負債についてはどうにもならない。緊急の問題は災害復旧と原発事故の制圧だが、日本が国家としての体を維持する為には、この1000兆円こそが最重要課題である。復興増税と言えば、復興には増税は不要だと問題をすり替える詭弁は許されたものではない。
 本来増税反対は、市民が主張すべきことである。官僚は、必要なら増税を市民に求め、政治家は官僚の提案に合理性があると認めたら、市民を説得するのがその役目である。歴史的に見れば、権力は常に増税を目論み、庶民は抵抗する。この構図から外れた反増税議員は、その職務と逆の行為を行なっている無責任極まりない連中である。なにより許しがたいのは、世論調査では50%以上が復興増税を認めている。にもかかわらず政治家が増税に反対していることである。増税なくして復興が出来るなら、身をもってしめせ!
 日本国解体を行なわない限り、誰が政権を取っても財政危機の問題を忌避するわけにはいかない。たとえ日本共産党が政権の座についてもそれは変わらない。例えばの話、自衛隊を解体したとしてもである。もっとも、東北大災害、原発事故に対して行なった自衛隊の緊急災害出動と功績を見た今日、自衛隊不要論で政権獲得は出来ないが・・・。したがって、まじめに被災地復旧を語るとしたら、増税を封印することは出来ない。

 景気は回復するのか?という問題設定からはいったが、実は日本は今後どうなるのか、というのが本題である。
 すでに述べたように、日本経済の成長の条件は失われている。だがハイチやアフリカの貧困国と比べ、日本は今の所豊な国である。しかも円高で、日本市民の持つ円資産価値は上がっている。デフレ、つまり市場の商品価格下落で、生活の為の必要経費は下がっている。年間所得200万以下の労働者の急増。無預金世帯の急増。などといわれてもまだ世界では十分富裕な社会である。団塊世代以上では、退職金の預金と現役世代の賃金より多い年金収入で、余裕ある生活を維持できている。そうした世代の支出と若い世代への生活援助で、生活破綻者の急増は抑制されている。実際には、円高にもかかわらずデフレ率は低く、価格の上がっている輸入品(特に石油と食料)もあり、それは、近い将来のハイパーインフレすら予感させるのだが。

 被災地は大都市部ではなかった。したがって被災者の数が面積に比較して少なかった。その上そうした地方部で生活していた人達のなかでは、自営業者やその家族の比率が高い。したがって、大都市部と比較し、無資産者の比率が低い。そういった人達は、とりあえずは預貯金取り崩しで当座が凌げる。これが大都市であったら、たちまちにして生活保護を受ける人口は一気に拡大した。つまり災害の第一撃が過ぎた後、被災者の生活破綻の進行度は一時的に緩和されている。その状態が、災害後半年を経過した現状である。
 貧困国であったら、被災者は食料を求めて災害の無かった地域に難民として押し寄せたであろう。またそうした動きの出来ない被災者の餓死が大発生したであろう。
 今日までの蓄積があったからこそ、そうした危機の進行は日本では緩やかに進んでいる。それは幸運であるとともに危機感の欠如の原因でもある。予想できることは、円の大暴落は、そうした危機を一気に推し進めるだろう。
 円が大暴落するかどうかは別にしても、緩やかであれ急激であれ、いわゆる景気と言う奴は悪化が進む。つまり日本経済の縮小が進む。復旧、復興などと気楽な言葉が飛び交っているが、東北経済の宿命は長期間にわたって災害前の状態を回復することは出来ないし、それは日本全体に波及する。そして、日本社会は、将来の人が「革命」と評価するような規模の変化に曝される。今の所そうした兆候に気がつかない日本社会は、危機の進行の緩やかさに抱かれて「ゆで蛙」状態にある。そうした社会の変化が急激に進む時、破滅的混乱がもたらされるのか、あるいはそれを見越した政治が生まれて、革命を先導できるのか。少なくとも現状はそこまでを予感させる。

 以上のような悲観的予想は、国内情況によって規定されているだけではない。間違いなく国際社会の危機と深く絡み合っている。
 日本工業が商品シェアを世界に伸ばした時、国内では日本人の器用さと勤勉さが自画自賛された。その時、造船は世界のトップにあり、日本の家電商品は世界を席捲し、車もシェアを伸ばした。工作機械にいたってはアメリカ国内では完全に駆逐された。日本企業の最初の進出先はアメリカであり、アメリカで貿易摩擦が起きるとヨーロッパに進出した。そのアメリカが不況に落ち込み、4分の1が貧困層と言われる。アメリカ、ヨーロッパの購買力が低下しただけではない。かっては日本の輸出対象であった韓国、台湾、中国が競争相手として立ちふさがっている。したがって、産業復興によって日本に経済成長がもたらされる条件はすでに無くなっているのである。
 かってイギリスが、そして今アメリカが陥っている国家の社会経済体質、産業資本主義ではなく金融資本主義国家というのが今の日本の姿である。
 アメリカと日本を比較してみよう。アメリカ社会の最大の雇用が金融ビジネスである。世界最大の農業雇用がある。衰えたとはいえ国内自動車産業と、進出した日本自動車産業の雇用がある。金融ビジネス社会での情報産業拡大とともに発達したIT産業雇用もある。それに付随したサービス業の雇用も多い。それでも失業率は10%であり、4分の1が貧困層である。
 日本は産業雇用が縮小し、いわゆる非正規雇用による賃金の縮小再分配で失業率増加が抑えられている。農業は、低賃金の外国人労働者雇用でようやく維持されている。日本の高所得層は、ごく少数の大企業や特殊企業の経営幹部やトップビジネスマン、公務員、年金受給者である。それらの高所得者や退職金を貯蓄した中間層の資産にたかる金融ビジネスマンが、チマチマとマネーを動かしている、というのが日本社会の経済の実態である。およそ新たな投資機会が生まれて景気が回復する条件など全く無い。
 野田政権は、日本の経済成長を見込める分野を、エネルギー、農業、医療と想定し、その分野の成長政策を政権の重要課題としている。この問題を少し検討してみよう。
 経済成長によって税収が増える、という現象がある。これは個人であれ企業であれ、納税主体の所得が増えるということである。先ずエネルギーから見てみよう。
 日本のエネルギーは圧倒的に輸入に頼っている。というよりエネルギー輸出によって日本は収益を得ることは出来ない。エネルギー産業は、輸入したエネルギーを企業や個人に転売して利益を上げている。エネルギー産業が成長し、納税額を増やすには、エネルギーの消費拡大が前提である。
資源が自給できるエネルギーは太陽光、風力、水力である。そのための機器生産は確かに成長分野である。それは国内需要だけでなく輸出も見込める。十分な競争力を持つ製品製造が出来た場合は確かに日本経済の成長要因となるが、円高、人件費高を受けて、そうした機器ですら海外生産、輸入商品となる可能性は高い。そうなると市場は国内に限定されてくる。
 農業については大規模経営化による競争力強化で、はたして食料自給率が上がるだろうか。大規模化に成功した農業企業は、確かに個別には経営が安定し納税額も増え、農業関係の政府の補助金支出は減るだろう。一方で農業人口は減少し、納税人口は減少する。耕作放棄地が減少し、また品質向上で輸出も増える。したがって日本財政のお荷物度は下がる。しかし基本的には納税主体の付け替えでしかなく、そのキャパシティーには限界がある。農業改革は取り組むべきだが、TPPなどにより失敗した場合、新たな財政負担要因となるリスクも想定しておく必要がある。
 医療については、高齢化社会の進行とともに医療費が拡大する。個別の医療機関にとっては確かに成長を見込める分野であるが、財政的にはむしろ圧迫要因である。財政方針そのものが福祉・医療関係費用削減を進めている情況で、成長を見込める分野とすること自体がおかしい。おそらく、最近話題になっている先端医療に関するシステムや機器輸出、総合検診ツアーなどでの中国からの来日などが想定されているのかもしれない。ただ医療機器産業について言えば、きわめて高度なハイテク機器であり、簡単にその生産が海外流出する可能性は低いが、反面、家電や自動車のような大量雇用を発生させる産業でもない。手堅いが大儲けできない、というのが実体である。
 そうした全体の政策がうまくいったとして、その販売は輸出ではなく内需である(たこの足食い)。日本の個人資産が企業に移り、そこから税金として国費となり、すこしでも国家の負債削減(負債増加の緩和)に結びつくかもしれない。しかしこの循環がもたらすものは、国内の格差の拡大だけである。成長なくして財政危機克服は不可能であることは事実である。だが、その成長をどのようにして達成していくのかについては、全く何も無いというのが日本の政治経済界、官民すべての実情である。
 いずれにしても、日本を一体として考えれば、その借金を働いて返す、つまり輸出によって削減する条件は極めて厳しい。預金を下ろして返すしかない情況である。その際、内需拡大という迂回策をとるか、徴税として直接穴埋めするかであり、どちらも必要である。

 多くの地方自治体が財政破綻に瀕し、職員数削減や事業縮小を行なっている中で、原発立地自治体だけが、政府や電力会社からの協力金や固定資産税を受け取り、贅沢な運営を続けている。雇用も確保され、したがって商業も潤う。まさに原発は金のなる木である。だからこそ福島原発事故後にもかかわらず、上関町町長選挙では原発推進派が勝利する。それが日本経済の実態である。原発立地とは、実は国家財政へのたかりである。
 福島では、原発立地自治体はこれまでに十分報酬を受けている。だが近隣自治体には、何の報酬も得られず、被害だけを受けた所が多い。原発推進自治体は、その問題についてどう対応しようとしているのか。周辺地域への賠償責任は、東電と国だけでなく、これまで甘い汁を吸ってきた立地自治体にもあると見るのが順当ではないだろうか。玄海原発のように基礎自治体と県知事がつるんで推進すれば、周辺は手の打ちようがないと言う事態をなんとかしなければならないだろう。

 さいごに
 今日のような日本の情況。つまり大災害によって日本社会が崩壊に瀕しているという情況は、自然災害が原因ではない。その原因は国家、政治にある。今は財政危機によって自然災害に対応できていない。一つの体制が終焉し、新たな体制が生まれるいわゆる革命は、前の政権、体制が自然や財政危機に対応できない結果起きるのである。つまりその条件が日本には、今まさに存在する。
 ただし今の日本には、そのことを認識する政治勢力は存在しない。一部革命主義者はあるのかもしれないが、過去の日本の革命主義者は、社会が混迷に陥ってからしか革命は起きないと考え、中には混迷を起すことが革命だと信じきっている「小児病患者」も存在する。混乱、混迷は、改革派、革命派の敗北の結果発生する事態であり、大混乱なき社会変革こそが有能なリーダーの手腕によるものである。

 ところで、野田内閣が提唱した増税路線は政策としては非常に難しいことは歴史が証明している。戦後政治の中では、増税に成功した政権は必ず退陣に追い込まれた。成功せず、唱えただけでも選挙で大敗北した。おそらく民主主義での増税の可能性は数%もない。しかし絶対無いわけではない。
 第2次世界大戦に向う軍部ファシストの暴力支配国家日本でさえ、増税による戦費調達は困難で、貴金属供出の大衆運動と厚生年金制度制定に依存した。そういう難事業でありながら、今日本の世論調査では、復興増税を認める意見は50%を超えている。まさに奇跡なのである。これはおそらく民意による、民主的手続きによる増税の最後の機会であろう。この機会をうまく捉えれば、日本の民主主義は成長し、社会変革のソフトランディングの成功する可能性が発生するかもしれない。しかしそうでなければ、国家の資金調達は無計画な借金拡大か強権的、暴力的収奪となり、民主主義は大幅に制限されることになるだろう。