イタリアモニター旅行記

添乗員から3日前に「調子はどうですか?」と電話がかかってきた。上々ですよ。」「熊本からは何人行きますか?」「えー私1人」「1人旅もいいもんだ」と言い聞かせ。飛行機がつれてってくれるから。便利になったもんだ。とたかをくくっていたが、いやはや福岡空港関西空港・待ち時間・ロンドンへ・待ち時間・ミラノへ。飛行機のエコノミークラスに「への字」になって16時間、

ミラノへ着いたときには、「への字になった体を」「|の形に直すのに一苦労」降りる時は、ビジネスクラス・ファーストクラスとすごい待遇。いつも横目で見ながら格差を感じて降りていく。「あーすかたなかんべさー」と腰をたたく。

イタリア第二の都市ミラノのホテルに着く。今度は「部屋のかぎ開けの用量があります。」と来る。「ノブと反対方向にまわすのですよ。」開かなかったら

反対にまわして・・・・・私の部屋は難なく開いた。ある奥さんが開かないでしくはくしている。私にあけてくれと言う。言われた通りにしたが、開かない。

何回しても開かない。「すみません、開けきりません。」と言って逃げ出してきた。なんちゅうホテル?

部屋はダブルベッドで広くて大の字になって寝られる。全工程そうだった。

文句なしだ。ただ、スーツケースが片方上から下まで裂けている。今までにないことだ。『この係りの人、きっと重労働しているんだなー。』すぐ添乗員さんに電話をした。「成田で処置しますから。」と言うことで事はすみ。鍵はかかるし、「まーいいや」、と気にかけるまでもなかった。

ベローネと言う所は初めて聞いた。「田舎町か。」と隣のおじちゃんと話していたら。おじちゃんが、あの壁、ここ要塞らしいですね。と言う。話を良く聞いてみると、ローマへの重要な拠点であったらしい。コロッセオと同じ形のものがある。(アリーナ)2万人収容できると言う。(コロッセオ7万と言う)ロミオとジュリエットの舞台でもあった。ジュリエットの像のオッパイを触ると願いがかなうと言う。どうもこの年になって、オッパイを触っているところを撮影されるのも「色気ジジイ」と帰ってから言われるのも・・・・・。

フィレンツェのウフィッツェ美術館へ行った。空港並みの警戒態勢だ。ルネッサンス時代の天才達の絵画が眠っているところだ。ヴィーナス誕生の絵を見て「にょうぼ」がこんな艶やかな体だったら「振るいつきたくなるのになー」

にょうぼに こんなこと思っていることを知られると きっと大目玉だ。「ないしょ、ないしょ」帰ってから新聞に載ったのだが 熊本の浜田知明氏がそこに買い取られ 天才入りしたことを知り 我ながら熊本を誇らしく感じた。

オプションのピサ行きでは、帰りにちょっとしたトラブルで 「みすけたぞ」と言って ヒゲのおっちゃんを「大将」にみんなぞろぞろつれてきて心配そうにしていたので、つい「ごめいわくかけました」とでてしまった。心にいちもつ背ににもつ てーところかな?

ローマをもっと歩いて見学したかったがトレビの泉に3こコインを投げてきたが「何の御利益があるんだっけ?忘れちゃった。何かいいことがあろーな。」スペイン広場は何回も見た「ローマの休日」の「オードリーヘプバーン」

に思いをはせながら階段を上っていった。三文画家達が似顔絵を描いて売っていた。

数十年前だが本で読んだことのある「ポンペイ最後の日」の遺跡はぜひ見たいところ所だった。確かに妊婦や祈って死んでいった人の姿があった。

あの遠くにあるベスビオスの噴火で一瞬で古都を埋め尽くすとは。ローマの旅は満足で、また花の咲く時期に家内と来たいと思った。

成田ではスーツケースは片面が「ガバッ」とハゲ使い物にならなかった。

添乗員さんに保険の書類を書いて渡そうとしたところ、「いいですよ。」と言ってJALの調査室に行き「使い物にならない」と言うところで、色は違うが新品のグレイのスーツケースに換えてくれた。ひとつ学習した。

添乗員さんが「左は成田の繁華街、右は何もありません」と言う。小生いささか疲れ気味。「|の字に体をしたく」1人だけ反対方向へ行った。「ブラボー」きれいな客室乗務員さんが笑顔で数十人歩いてきていた。「まんぞくーーう。」蕎麦食って、足を伸ばして一息ついた。

福岡では最終前の列車で帰られた。帰ったのは12時すぎ。2人が起きて来た。

あくる日、香水を買って来いと言われたので買ってきたが、化粧品展でイタリア人なので左手の甲に香水をつけ匂うまねをして、とやったら匂わせてくれた。NOと言ったら 男物ですか 女物ですかと聞かれ 「がくんときた」日本語しゃべれるんだ。フェラガモの最高級品を買ってきてその話をした。

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